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好きな言葉

「私は貴方の意見には反対だ。しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守る。」
(ヴォルテール/思想家)




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「言論の自由」について語られたこの言葉を初めて目にしたのは、「文芸ジャンキーパラダイス」というサイトでした。
かなり有名なサイトなので、目にしたことのある方も多いかも。
んで、このブログを見てくださってる方の中には、“ビクトル・ハラ”で検索したらこのサイトの中の墓参りページにたどり着いた、って方もいらっしゃるかもしれません(私がそうでした。ビクトル・ハラや彼の残した「平和に生きる権利」「耕す者への祈り」といった曲を好きな方には是非読んで欲しいページです)。


なんで突然この言葉を持ち出したかというと
これまでにも、いろんな機会にこのブログにも書いてきているし、いろんな方々と会って話してる中でも繰り返し言ってることなのですが


“意見が違う”ってことを理解しようよ、
と、思うんです。
最近(っつーか、去年の秋頃からずっとですけど)特に、そう感じさせられる機会が多い。


意見が違う、考え方が違う、ってことをわきまえていれば、別に争う必要なんて無いんじゃない?
互いにジャマしないように気をつければいいじゃん。
「考え方違うねー」でいいじゃん。
実害が無ければ。


なのに
「自分と違う・合わない」
   ↓
「危険だ」
「おまえは間違ってる」
「そんな考え方のヤツは排除しなきゃ、ここ(店だったり国だったり)は駄目になる。」


その発想が、むしろ危険なんじゃないの?と思うのです。
ブッシュじゃあるまいし。


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思い起こせば大学時代、
某カトリック女子大に、毎日アンチ共和党系なメタルバンドのTシャツ姿で元気に登校し、日本近代詩の戦争責任問題で卒論を書いていた私ですが、そんな私の友人の中には思いっきり右翼思想なやつもいました。
でも、互いの思想は思想として、普通に友達として付き合ってた。
いろんな友達がいた。いろんな考え方があるのが、当たり前だった。
んで、互いの得意分野を持ち寄って、ゲリラ的に学内新聞を出したりしてた。
互いの考え方が違うから、おもしろかった。


そんな環境で過ごしてきたからかもしれないけれど


自分と違う意見を言う人に対して、場をわきまえずに突然キレたり、
自分と違う意見が主流になったら、いきなり論点をすり替えてまで先方に攻撃をしかけたり、
っていう人を見ると、
なーんか、違うんじゃね?
って思ってしまうのです。


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思うところがあるのなら、理路整然と自身の意見を述べれば良いだけのこと。
その権利は誰にでも認められているはず。
勿論、自分と違う意見を持つ側にも、同様の権利がある。


繰り返しになってしまうけれど
意見が違う、考え方が違う、ってことをわきまえていれば、それでいいのでは?と思う。
実害が無ければ、ね。



故に
私は、考え方が違う人とも付き合っていけるし、一緒に楽しくライブやったりバンドやったりしていけるし、実際そうしてます。
宗教と同じでしょ。
別に友達の中に○○○○(←苦手な宗教団体名を入れてください/笑)の人がいても普段の人間関係に全く支障は無い。
ただ、勧誘されると鬱陶しい(苦笑)。



そう、意見を「言う」のは自由だけど
それが「押し付け」「押し売り」になったら、
それは、宗教の勧誘と一緒。
受ける側にとっちゃ、ある意味「実害」。



でも、「実害」を撒き散らしてる側には、そんな自覚すら無いんだよね、多分。
「自分が絶対に正しい!」と思ってるから。


って考えると
もしかしたら
「正しい」って言葉と発想が、一番危険なのかもしれない。



とりあえず、自分自身が実害を撒き散らす側に陥らぬよう、攻撃を仕掛けられても上手にかわして距離を保ちながら、日々を過ごしていこうと思います。





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[ 2009/09/03 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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